歯に衣着せぬ物言いでトーク番組に引っ張りだこの石原良純さん。
いつも明るい振る舞いを見せてくれる石原良純さんですが、マネージャー・三原栄子さんが「死因:悪性リンパ腫」で亡くなる…という悲しい過去を背負っていることをご存知でしょうか?
父親が石原慎太郎さん、叔父に石原裕次郎さん、という豪華すぎる一族で育った石原良純さんとマネージャー・三原栄子さんの関係性について徹底深掘りしていきましょう。
石原良純のマネージャーは三原栄子
引用:日刊スポーツ
石原良純さんが芸能界入りしてから30年以上にわたりマネージャーを続けてきた女性が三原栄子さんでした。
年齢62歳になってもバリバリ活躍し続ける石原良純さんを下支えしていたのがマネージャー・三原栄子さんだったというわけです。
ただ、フジテレビ系昼のトーク番組「ごきげんよう」に出演した際、マネージャー・三原栄子さんが石原良純さんのわがままな行動に困惑していたことを明かしていました。
引用:ライブドアニュース
ロケの仕事そっちのけで造り酒屋さんに足を運んでしまった石原良純さんは、同行したスタッフたちを待たせたままだったそうです。
どんな状況でも子供心を忘れない部分は石原良純さんの強みですが、ロケ現場でスタッフに迷惑をかけてしまうのはいただけないですよね。
迷惑をかけたスタッフたちに必死に謝っていたのでしょうし、石原良純さんのわがままな振る舞いの後処理をしていたマネージャー・三原栄子さんの存在は大きかったはずです。
三原栄子のプロフィール
引用:テレ朝POST
マネージャー・三原栄子さんは石原良純さんが在籍する「株式会社湘南ブラザーズ」の代表取締役社長で、雑誌編集者や広告プロデューサーとして活躍しました。
裏方に徹していたこともあり、顔画像や年齢は不明ですが、過去の経歴プロフィールが判明したので、情報を整理していきましょう。
・婦人画報社の編集部に入社
・「HONDA 2&4」や「BELL」の編集長を歴任
・日本生命や西武百貨店、日産自動車といった大企業の広報活動を支援
・「クリエイティブ・エージェント三原事務所」を立ち上げ、独立
・「株式会社湘南ブラザーズ」を立ち上げる(1992年6月1日)
・石原良純のマネージャーを務めながら、広告プロデューサーとして活躍
・総理府広報室顧問、経済企画庁委員、運輸省政策審議会委員を歴任
「婦人画報」でお馴染みの雑誌社・婦人画報社の編集部からキャリアがスタートした三原栄子さん。
最初から芸能界と関わっていたわけではなく、大手企業の広告プロデューサーを務めた後、1992年6月1日に石原良純さんの芸能事務所「株式会社湘南ブラザーズ」を立ち上げます。
総理府広報室顧問など、政府関係の仕事も担当していたことも分かっていますから、マネージャー・三原栄子さんは相当優秀な人物だったのは間違いないですよね。
石原良純と三原栄子の馴れ初め
引用:GQ Japan
石原良純さんとマネージャー・三原栄子さんの馴れ初めは1989年頃です。
大病で入院していた叔父・石原裕次郎さんのお見舞いに行ったことがきっかけとなり、芸能界入りすることになった石原良純さんは1982年に「石原プロモーション」に所属。
デビューから7年後の1989年、「石原プロモーション」からの独立を決意したのですが、事務所を離れる時に頼りにしていたのが腕利きの雑誌編集者だったマネージャー・三原栄子さんでした。
作家だった頃の父親・石原慎太郎さんの編集担当者が三原栄子さんで、能力を知り尽くしていたはずなので、独立後の先行きが不透明だった息子・石原良純さんのサポート役にうってつけだと判断したのかもしれませんね。
石原良純は三原栄子の母親的存在だった
引用:中日新聞Web
移動時の荷物持ちはもちろん、飲酒トラブルを避けるためにわざと薄いお酒に入れ替えたりなど、三原栄子さんは石原良純さんの母親的存在になっていました。
石原良純さんの自由奔放な性格を熟知していた三原栄子さんは、アクシデントを防止するための策を次々に打ち出し、スムーズな形で芸能活動できるよう取り計らったとのこと。
さらに、バラエティ番組で石原良純さんのことをいじりすぎた元オセロ・中島知子さんに対して激昂する、という意外すぎるエピソードも存在していました。
引用:スポニチ
石原良純さんの太い眉毛をいじられたことに腹を立てた三原栄子さんは、テレビ局内で中島知子さんを怒鳴り散らしたそうです。
番組のプロデューサーが謝ったことで事態は収拾したようですが、ブレイクするまでに時間を要した石原良純さんの苦労を知っているからこそ、三原栄子さんは黙っていられなかったのでしょう。
本物の親子のように二人三脚で芸能界での仕事を勝ち取ってきたわけですから、三原栄子さんが怒ってしまうのも無理ないですよね。
三原栄子は悪性リンパ腫で亡くなった
引用:女性自身
俳優、タレントの仕事を充実させるべく、石原良純さんと一緒に挨拶回りをしていたマネージャー・三原栄子さんでしたが、2019年に悪性リンパ腫で亡くなっています。
いくつの年齢で三原栄子さんが亡くなったのかは分かっていませんけど、父親・石原慎太郎さん(1932年生まれ)と同世代の可能性が高いので、80代後半で天国に旅立ったのではないでしょうか。
続いては、三原栄子さんが悪性リンパ腫の死因で亡くなるまでの流れを整理していきます。
・体調を崩した後、石原良純の収録現場に同行しなくなる
・悪性リンパ腫を患い、「株式会社湘南ブラザーズ」の社長の座を娘に託した
・病気のことは石原良純に隠し通し、病院で面会もしなかった
・「葬儀が終わるまで病気のことは伝えないで」と三原栄子は娘に懇願
・体調悪化を伝えなかった理由は「石原良純のパフォーマンスが落ちるから」
石原良純さんが気落ちすることを恐れ、病気のことを一切伝えなかったという三原栄子さんは最期の瞬間までマネージャー業に徹していたのです。
引用:快適医療ネットワーク
悪性リンパ腫を患うと5年生存率が65~70%になりますので、三原栄子さんは2014年あたりから闘病生活をしていたものと思われます。
2014年頃の石原良純さんはテレビ朝日系「モーニングショー」のレギュラーを務めるなど、多忙な毎日を過ごしていましたから、三原栄子さんが病気を打ち明けてしまうと仕事に支障をきたす可能性もありますよね。
順調に仕事をこなす石原良純さんの邪魔をしないよう、命が尽きるまで最大限の配慮をしていた三原栄子さんは”マネージャーの鑑”ともいえる人物ではないでしょうか。
まとめ
今回は石原良純さんとマネージャー・三原栄子さんの関係性をまとめました。
・三原栄子は雑誌編集者から石原良純のマネージャーに転身
・石原良純が在籍する「株式会社湘南ブラザーズ」の社長を務めた
・馴れ初めは1989年で、独立後の石原良純を支え続けた
・石原良純をいじったタレントに本気で怒った過去も
・2019年に悪性リンパ腫のため亡くなったが、闘病生活は明かさなかった
以上の5点が石原良純さんとマネージャー・三原栄子さんの最新情報です。
「石原プロモーション」から独立して、先行き不透明だった石原良純さんを懸命にサポートし、売れっ子タレントに成長させた人物こそが”伝説のマネージャー”三原栄子さんだったのです。