2024年2月7日に放送された【くりぃむクイズ ミラクル9】にてその昔に秋葉原にあった
広大な敷地について話題が集まっています。
気になって調べてみると、その敷地はかつて「神田青果市場」だったことが明らかになりました。
その詳細について是非ご覧くださいね!
秋葉原とは?
まず、秋葉原という街から振り返ってみましょう。今や「アキバ」という愛称で親しまれています。
メインストリートのある中央通りには家電量販店や電化製品が軒並み立ち並んでいます。
秋葉原といえば、「電気街」というイメージが一般的には強いですよね。
また、「オタクの街」としても有名で、近年のアイドルグループの橋がけで「AKB48」の活動拠点としても有名です。
そんな秋葉原に昔あった広大な敷地について今、注目を浴びているようです。
秋葉原にあった広大な敷地の正体は神田青果市場だった!
出典:https://visit-chiyoda.tokyo/
実は秋葉原は江戸・明治・大正時代を通じ、「神田青果市場」という巨大な青果市場がありました。
その敷地の面積は約1万5千坪(約4万9500㎡)におよぶ広大な青物市場だったとのことです。
淡路町の交差点で、西側から靖国通り進み2本目の多町大通りを右に曲がってすぐ、ビルの前に「神田青果市場発祥之地」の碑があります。
引用元:https://visit-chiyoda.tokyo/
神田青果市場の歴史
「神田青果市場」は明暦の大火(1657)以降に徐々に勢力を拡大し、徳川幕府の御用市場として 駒込, 千住と並び 江戸三大市場に入っていたのだとか。
また、当時の市場ではお店が店員の居住地としての役割も兼ねていたとのことです。現在とは違い、当時は市場の中に町があったといいます。
「神田青果市場」の特徴として水運を利用して神田川沿いの河岸や鎌倉河岸などから大奥の果物や野菜が荷揚げされていたそうですね。
現在の神田青果市場はどうなった?
そんな神田青果市場ですが、大正12年(1923)月関東大震災にあって市場は全滅してしまいました。
しかし、直ぐに復興し、東洋一の大市場へと変革しました。
「神田青果市場跡地」のプレートには、「昭和3年(1928)から平成元年(1989)の61年の間ここに日本一の青果市場がありました。現在、市場は大田区東海に移転し、大田市場と名を変えています」
どうやら、神田青果市場自体は大田区へ移転していたようですね。
移転先では「東京神田青果市場株式会社」という名前になり、現在でも営業を続けているそうで、全国へ新鮮な果物や野菜を送り続けているといいます。
まとめ
今回、2024年2月7日放送の【くりぃむクイズ ミラクル9】にて話題となった秋葉原にかつて存在した広大な敷地の正体について調査しました。
・秋葉原の敷地は「神田青果市場」があった!
・関東大震災後に全滅するもすぐに復興された。
・現在は「東京神田青果市場株式会社」という名前で大田区へ移転していた。